勉強は既存の学問や知識を習得していくこと。とにかく「既に世界では確立しているもの」を自分のものにしていくことだと言えます。
研究は「世界でまだ確立していないなにか」を発見していくことです。
ですから勉強と研究って全然違うことです。どれだけ勉強をしていても、それは世の中の自分よりずっと賢い先人たちの後追いにすぎません。研究は誰の後追いでもなくて、新しいことを常に追い求めなければなりません。結果的には既に知られたことだったり、初めて知ることだったとしても何も役に立たないかもしれません。けどそんな研究でも無駄じゃないと思います。
勉強とは違う、研究というチャレンジングな姿勢そのものが大事だと思います。
研究
早く研究を始めよう
研究に取り組むという事自体が、自分の創造性を高めるプロセスになります。ほとんどの場合、研究は成果を出さずに終わります。既存の成果よりも劣っていたり、あるいは予想と全然違っていたり、世の中に出回る研究成果は、こういった失敗の繰り返しから生まれたほんのひと握りだけです。勝ち残った栄えあるひと握りしか、僕達の目には届きません。だから研究をするのであれば、そういう成果を残したいと思うのが自然ですし、成果を残せるのならばそれが一番良いでしょう。でも、研究で凄い成果が出るのは本当に稀なんです。その稀しか目にしないから感覚がおかしくなっているだけで、研究はもっと地道なものです。たくさんの失敗を繰り返すのが当たり前です。それを恐れてはいけません、もっと心に余裕を持って、気張らずに研究を早く始めてください。
失敗したとしても、新しいことにチャレンジしたという過程はその人の経験として残ります。研究をした人は成果が世の中に知られることはなかったにしても、何もしていない人に比べて確実に成長しています。
早く研究を始めましょう。大したことはできないのかもしれません。でも早く取り組めば取り組むほど、経験を蓄えることができます。
何でもイイから研究する
では研究を早く始めようと思ったときに、そのテーマを何にするかというのがまず最初の課題でしょう。もちろん、自然と興味が湧いたことを「知りたい、知りたい、なぜだろう?」と突き詰めて行ければ良いのですが、実際はそんな単純ではないです。
この研究は何の役に立つのだろうか?この研究はお金になるのだろうか?これを一生やっていくことができるだろうか?色々な不安が付きまといます。
研究テーマが決まらない。
でもテーマは一度火が付けば何でもいい。
今は自身の人生の一貫として何かを研究しようとしているんです。
ゲームに本気になるのも、スポーツに本気になるのも、楽器に本気になるのも、何でも構わないんです。やるからには研究をしてみてください。ただやるより面白いはずです。得るものも多いはずです。
勉強
勉強は無駄ではない
「早く研究を始めよう」、こう書いているとまるで勉強を放っておいても良いみたいに聞こえるかもしれません。研究とは未知へのチャレンジですから、勉強とは全く違うものです。全く違うことにも関わらず、研究をする時には勉強もしなければなりません。
まずは当然のことながら、未知なこととは何かを知るために既知を知らなければなりません。これはつまり勉強です。研究ということを始めようと思うと、自然と勉強の必要性が出てくるのです。勉強とは何に役立つのか?と聞かれて、答えに困る教員はたくさんいます。けど、研究を早く始めてしまえば、勉強というものが如何に役立つことなのか実感できるはずです。
義務教育も無駄ではない
勉強は本来誰かに指定されて行うことではありません。義務教育というのは甚だおかしな制度です。早く研究を開始して、そして必要に駆られて勉強すればいいのです。でも、小さな子どもたちが、どういうことを研究したいと思うのかなんて分かりません。それが世の中に役立つことか分かりません。本人にとって幸せかも分かりません。実際、興味は年齢と共にコロコロ変わる人もいるでしょう。そういうときに、義務教育はいろんな方面へのスタートを切る準備をしてくれます。
もしもコレだと思えるものがあるならば、義務教育は究極には受けなくても構わないと思います。しかし大抵の場合はコレだと思えるものは見つからない人が多いです。そういう時にはとにかく将来に持つであろう興味に備えて準備をしておくべきです。その準備に何をすればいいのかは非常に難しいです。だから義務教育を利用してしまおうということです。
義務教育は受けるのではなく、利用するものです。何か研究テーマを見つけたのであれば、学校の授業そっちのけでも構わないでしょう。実際世の中の大きな成功者は変人が多いでしょう。天才は孤独だなどという名言もあります。もちろん変人で孤独な人がみんな成功するわけじゃないですけども。しかし、義務教育というものの枠組みに居るのではなく、自分の人生の中に義務教育というものがあるのだと認識しましょう。それをどう使うかは自由です。
ゆとり教育の真の狙いはそこにあったのではないでしょうか?
世の中難しくて、余裕を与えればサボる人の方が多いんですね。(僕だってサボってしまう)
研究で得られるもの
研究に取り組む姿勢を得る
もちろん、製品開発を見据えた研究をする場合は研究テーマが何でも良いってことはないでしょう。仕事で研究をする場合には、やはりどこかで利益を出さなければいけないので、自分のやりたいことを好き勝手にやるわけにはいきません。特に学生の場合はそのことを見据えて、自分が今から本気で取り組もうとしていることが、将来の仕事で役に立たないのではないかと危惧する人は多いと思います。
けどなるべく研究を早く始めようという話は、仕事を早く始めようって言ってるわけではないんです。小学生でも中学生でも、興味を持ったことに本気で取り組むべきだということです。
何かに本気で取り組んだ際に得られるものは、本気で取り組んだときに得られる知識やスキルだけではありません。本気で取り組む・研究をする姿勢が身につくはずです。
部活に夏まで取り組んだ人間が、受験勉強で夏から一気に追い上げるという話はよく耳にします。サッカーをしてたって数学は解けるようにはなりません。でも計画を立ててチャレンジし、失敗を反省して改善をするという姿勢は共通ではないでしょうか。全員がそうだというわけではないにしても、彼らは何かに対して本気で取り組むときの姿勢をきっと得たのでしょう。試合で勝つための研究をどこかでしていたはずです。
だから、何の研究をするにしても、その取り組んだ過程が財産となって残ります。
一人前ではない。先生や仲間が必要
研究を始めたところで、そして進めていったところで一人前には程遠いです。そもそもどうしたら一人前と言えるのかもよく分かりません。しかし時に、研究をしていることそれだけで、自分がなにか高尚なことをしている気分になってしまう人がいます。
けどきっと、同じことを研究している人は世の中にたくさんいます。そして中にはずば抜けた力を持った人がいるものです。大学生で高々数年研究した程度で、企業や研究所で数十年にわたって研究を続けてきた人に、本当に一人前だと見てもらえるのでしょうか。
早いうちに研究をし始めたとて、敵わんもんは敵わんし、一人前になれるわけでもありません。けど、前述の通り姿勢をしっかり身に付ければ、残りの数十年がもっと充実するはずです。
そして一人前では無いのですから、いろんな人を先生だと思いましょう。同じ分野の秀でた人はもちろん、他分野の人でも自分に吸収できることはたくさんあるはずです。本気で物事に取り組んでいる仲間を、先生を作っていきましょう。
最後に
僕自身はただの大学院生です。
自分自身、迷走することが多々あるので、文字に起こしておいていつでも振り返ることができるようにしておきました。
大学生にもなれば、研究というワードには慣れ親しむでしょう。嫌でもやることになりますし、やる機会も自然と得られます。しかし、それは大学生になってからでなければ研究をしてはいけないということではないです。中高生でも、(あるいは、偉そうには言えないが大人だって)研究をすぐにすべきです。もちろん大したことはできないかもしれないです。一人前には見えないかもしれないです。それでも研究することがどれだけ自分に大きなものをもたらしてくれるかは計り知れないと思います。